嘉義仁武宮。香火鼎盛の市定古跡。明永暦年間、鄭成功は台湾を拠点とし、清朝政権打倒を決意。この頃、大陸の漳泉からの先民が大量に台湾へ移住し開墾。泉州府同安県出身者が保生大帝の神像を携え、開墾の守護神として共に移住してきた。香火鼎盛の市定古跡。明永暦年間、鄭成功は台湾を拠点とし、清朝政権打倒を決意。この頃、大陸の漳泉からの先民が大量に台湾へ移住し開墾。泉州府同安県出身者が保生大帝の神像を携え、開墾の守護神として共に移住してきた。明永暦27年(西暦1673年)、鄭経が西征した際、鳳山地区(現在の高雄県仁武郷)に屯田していた仁武鎮部隊を諸羅地区(現在の嘉義市)へ移駐させた。その際、泉州籍の官兵も保生大帝の神像を諸羅地区へ迎え、軍民の守護神とした。明永暦31年(1677年)、官兵が小さな祠を建てて祀ったのが仁武宮の草創期である。清康熙40年(1701年)、諸羅県知事毛鳳綸が建廟を提唱し、主神が当時の仁武鎮官兵によって奉祀されたことを記念して、廟宇を仁武宮と命名した。嘉義地区で最も古い保生大帝を祀る廟宇である。仁武宮建廟後、雍正、乾隆、嘉慶、道光、咸豊の期間に、数度の修繕と増築を経た。日本の昭和13年(1938年)、市尹の川添修平(生没年不詳)は皇民化政策を推進するため、全市63座の寺廟の廃廟と神像撤去を命じ、全ての寺廟の廟産は没収され日本人の所有となった。仁武宮の神像は城隍廟へ移奉され、廟産は日本人の伴八のものとなった。
住所:嘉義市東區北榮街54號
営業時間:00:00–23:59
嘉義