銃櫃天寶堂。頭社盆地から台21線を通って水里郷へ向かう途中、道路の右側に非常に高くそびえ立つ太子爺(太子元帥)の像が見えます。そこが。頭社盆地から台21線を通って水里郷へ向かう途中、道路の右側に非常に高くそびえ立つ太子爺(太子元帥)の像が見えます。そこが武登村の銃櫃天寶堂です。地名の「銃櫃」の由来には二つの説があります。一つは、清朝時代に原住民が水沙連古道の土地公鞍嶺付近でしばしば敵を襲撃していたため、清朝廷は往復する商旅を保護するために兵士を駐屯させ、弾薬庫を設置したことから「銃櫃」と呼ばれるようになったという説です。もう一つの説は、清朝廷が台湾を日本に割譲した後、日月潭一帯の住民が日本軍の侵入を阻止するために、銃櫃付近の土地公鞍嶺で高所から守備し、日本軍と対抗したことから「銃櫃」と呼ばれるようになったという説です。天寶堂は日本統治時代に建立され、三恩主(関公、呂洞賓、灶王爺)を主神とし、壮大な寺院です。中華民国74年(1985年)の秋、太子元帥が天寶堂鎮守の命を受け、度々神威を顕したため、恩主が神託で信者に、廟の後ろに高さ6丈2尺7寸の太子元帥聖像を建立し、太子爺が石郷の民衆を守護した神跡を顕彰するよう指示しました。太子爺の像は非常に高くそびえ立っているため、銃櫃の顕著なランドマークとなっています。
住所:南投縣魚池鄉銃櫃巷32號
営業時間:00:00–23:59
南投