石観音吉仙宮。明治39年(1906年)、五城村新興村に自生する良質な樟木が、樟脳油を重視する日本人によって発見された。樟脳油の製造に関わる人々は「脳丁」と呼ばれていた。明治39年(1906年)、五城村新興村に自生する良質な樟木が、樟脳油を重視する日本人によって発見された。樟脳油の製造に関わる人々は「脳丁」と呼ばれていた。樟脳油を運搬中、食事の後、一人の脳丁が突然腹痛に苦しみ、その場で倒れてしまった。心配した一人の作業員が、目の前の岩の下から湧き出る水を見つけ、すぐに汲んで飲ませたところ、腹痛は全快し、元気を取り戻した。それから3年後の明治42年(1909年)5月、端午の節句に突然、黒雲が空を覆い、激しい風雨とともに山崩れが起こり、七つの石蓮華が現れた。翌日、集集の運搬作業員たちがこれを見て、すぐに脳丁たちに知らせ、見学に訪れた。その後、地元の有名な風水師が「観音座蓮」と名付け、脳丁たちを集めて会議を開き、寺院を建立することになった。明治43年(1910年)、木造の観音寺が建立され、「吉仙宮石観音仏母娘娘菩薩」と名付けられた。その後、向かい側に鉄道が開通し、人力で軽便鉄道が運行されるようになり、交通が便利になった。しかし、各地で流行性感冒が流行し、顔色が黄色くなり、手足がだるくなる人々が現れた。吉仙宮の観音仏母は、慈悲深く夢の中で内外の信者に、この湧き水を汲むようにと告げた。その後、大正12年(1923年)から大正14年(1925年)にかけて、アメリカ軍機による大観発電所への爆撃が数日間続き、人々は安息を得られず、不安な日々を送っていた。その際、吉仙宮の観音仏母は、その威光を大いに示し、内外の人々を救った。
住所:南投縣水里鄉帝君巷36號
営業時間:00:00–23:59
南投